組織・グループなど


(樂)音が楽しくなるとき

“がくだんおとがたのしくなるとき”。バンド。通称音kiss。98年春結成。森田英一が楽長、己が団長だった。100人でバンドを構成して客よりもバンドの方が多いライヴをやろうと燃えた。98年に行われたクリスマスライヴLove&Happiness〜誰か私にチューをして〜”は、かなりラブラブでハッピーだったと好評。その後CD制作に入ったが99年初夏に活動停止。バンドメンバーは23人でストップ。様々な思い出と出会いがあった。


牙の城

00年2月23日からスタートした多苗を城主とする共同生活スペース。通称「牙城」。東京新宿区落合にある。
マンションの五階ワンフロアに展開された間取りは5Kで、広さはどどんと128平米。
この物件に出会うまで三ヶ月の紆余曲折があった。屋上からはサンシャイン、東京タワー、ドコモビル、中野サンプラザを望むことができる。晴れた日には富士山も見える。四年の歴史のあいだに14人の民が住み、現在男女合わせて七人が生活している。城民の国籍も豊かでこれまでに、アメリカ、コスタリカ、イギリス、ニカラグア、オーストラリア人を擁した。ホームパーティーの「牙の城パーティー」は伝説的なものだったが、あまりに警察沙汰になるので現在は中止。来城者は延べ千人を軽く越える。雑誌やテレビなどの取材も何度かあった。


気合血族

99年結成。己を長とする一族。血の杯を交わし、義兄弟の契りを結ぶ。その絆と、気合という自分たちで定義し、探求し続ける力を武器に、自己成長、自己実現を図る。
とりあえず無茶だけどアホだけどなんかスゴイという意味では、電撃ネットワークか気合血族かと云われている。


狐の木

藤沢烈が夢に描いていたバーで、色々な協力の下98年7月1日に王子に開店。狐の木とは、「大晦日に関東中の狐が一本の木にあつまったという」王子に伝わる伝承からつけた名前。01年11月に閉店してしまうが、その名前の通り閉店までに数々の出会いと物語が綴られた。


豪傑

豪傑とは“自分の人生に誇りを持って、自分に正直に生きる者”。2001年にTGAK、ザ・グレート・秋の行楽というイベントが静岡・下田で行われ、そこに集結し思いの丈を叫びあった十八人にルーツを求めることが出来る。現在、尚も増員中。

 


佐藤ビル

佐藤孝治が展開している東京北区王子に存在する共同生活スペース。佐藤孝治を軸に若者が集まり、共同生活を通して夢を求め、追いかけた。
己はそこの三期生。佐藤孝治との縁で遊びに行き、住人の藤沢烈と出会い、「よかったら多苗クンも一緒に住みましょう」という社交辞令を言質に、その二日後、
97年五月十五日入居。六人目の入居者だった。
東北、関西、九州まさに日本全国から若者が訪ねてくるのは日常茶飯事。朝起きて隣に知らない人が寝ているのは基本だった。
生活環境としては劣悪でスモーキーマウンテンと揶揄もされている。己は、ここで多くのかけがえのない仲間を得ると共に、多くの生き方を目の当たりにし自分のオリジナリティを模索した。
自分が成功し、仲間にも成功してもらうことで佐藤ビルを平成のトキワ荘としたい。
98年五月感動の卒業。00年初春家のトラブルで家なき子となり一ヶ月だけ戻る。戻ってくんなよと非難轟々だった。牙の城のモデル。


牙の城、参照


城民

牙の城住民を指す。共同生活してるとね、だんだん色々なことに慣れてきます。イイ意味でも悪い意味でも。

 


イベントプランナーズスクール

TOW主宰の企画塾。多苗も通学しております。あり得ない充実内容です。集まってくるみんなもイベントや仕掛け好きでよろし。

 


安原荘

市橋亮一が見つけた、一部屋一万五千円、大家さんメチャイイ奴の奇跡の物件。名古屋にあったが現在は取り壊されてしまった。この物件こそまさにトキワ荘のような作りをもっていた。佐藤ビルと違い、ちゃんと一人一部屋。鍵も閉められる人道的な物件。やはり学生たちが集っては青春していた模様。市橋、湯地、平手、横田、もっきー、土方氏ら優秀な人材を輩出した。それぞれ散り散りになった今もやはり団結力を有しており、そのつながりはみていて微笑ましく、ほんの少し羨ましい。


夢あるセミナー

和田清華社長率いる有限会社「私には夢がある」の主催するセミナー。色々な気づきがありますよ。
己もスタッフとしてよく働いています。