神田恵介伝

08.12.29 月曜日

ヤツとゲーセン

"candyrock"神田恵介とゲーセンに征く。

大学のつきあい以来初かもしれない。


これまでゲーセンに征かなかったのは今日のため、とでも言わんばかりの熟成。

こーゆうのをゼイタクというのだろう。

投稿者 多苗尚志 : 11:19
[ 神田恵介伝 ]

07.02.13 火曜日

初めてのヒッチハイク

“ゼッツん”シミズヨシユキの秘密のバーですっかり気持ちよくなった“スピードの哲人”清水宣晶と己は、ひた家に還るものの終電を亡くしてしまった。

どこだっけ、旗の台とかそんなとこでストップ。

自由が丘まで電車ならあとわずかだが、歩くには距離がある。


ヒッチハイクを敢行!

己は一年ぶりくらいだ。

一発でOK!

パチンコ店の副店長さんを捕まえて自由が丘まで。

己が助手席で晶君が後部席。

己は、運転手と盛り上がり、奥さんの職業まで聞き出すが
晶君はおとなしくしてる。

自由が丘で別れ、「ありがとう!」

晶君曰く「できるもんだね。」

ええ。

己はね、誰と映画を観に行ったことがある、風呂に入ったことがある、
サシで呑んだことがある、実家にいったことがある…

とか、誰とそういう~したことがあるってのが感慨深い侠[おとこ]なのよね。


君と一緒にやったという歴史が尊いですよ。

■コラム
多苗が一緒にヒッチハイクをしたことがある友人
“咲花青将”佐藤吉行
“太陽王子”岩下均
“覚醒医師”土方靖浩
“鼻くそ拓”岩下拓
“煩悩印度”島田裕介
“プニプニピノコ”中野美和
“candyrock=”神田恵介
“スピードの哲人”清水宣晶

自由が丘でカレーを食べる。

全然記憶がないが翌日ケータイの写真を観て思い出す。

と、同時になかなかうまかったことも思い出す。

清水家で轟沈


投稿者 多苗尚志 : 09:44
[ 神田恵介伝岩下均伝佐藤吉行伝土方靖浩伝岩下拓伝清水宣晶伝中野美和伝島田裕介伝コラム ]

06.09.03 日曜日

大将見舞い

パラサイヨのフィリピンツアーから還ってきて一週間くらい経つがこの間に
“大将”池本多賀正が病院に運ばれていたと言う報せを“ミノホドシラズソリッド”山田陽明から
伝えられる。

銀座の病院まで見舞いに行く。

陽明は、己が認めるオシャレカッコイイ倭だ。

悔しいくらいに。

服が分かっていて流行を着てるだけではオシャレ止まり。

自分の好きなものを着てファッションを楽しんでる者がオシャレカッコイイ。


■(コラム)多苗が認めるオシャレカッコイイ倭ベスト6
“ミノホドシラズソリッド”山田陽明(悔しい)
“candyrock”神田恵介(時々悔しい)
“イタリア系ハンサム劇人”黒澤世莉(時々悔しい)
“哀愁のチャタ”長井健太郎(時々悔しい)
“大将”池本多賀正
“太陽王子”岩下均(最近、シャバイ。金ないしね)

少ないね。
もっとかっこいい奴らとつきあお。

大将。

元気じゃん。

罰としてポカリスゥェットを呑み干してやる。

パソコン作業をしていた。

雑誌が4冊
本が5冊。

相変わらずの知獣ぶりだ。

三畳の狭き病室にお仲間がびっしり。

「サラリーマン金太郎のリアル版を感じました。」と、陽明のメール。

確かに。

投稿者 多苗尚志 : 16:39
[ 神田恵介伝山田陽明伝池本多賀正伝黒澤世莉伝 ]

06.08.13 日曜日

暑中見舞

“スピードの哲人”清水宣晶(晶)がある日、己に言った言葉が
今、強い実感をもって響いている。

「ひさしの周りでもだいぶ結婚する友達が増えてると思うけど
 そうすると友情が離れていくようなさみしさを感じないの?」
 
己はその言葉を聞いた当時、まるでピンと来なかった。

『晶ともあろう者が、なにを女々しいことを言っておるのだ』
とさえ思った。

晶は己と同じように友人に価値観を置いている人間で
また1つ歳上のため先に感じたのだろう。

今になって己は全く全身をもってそのさみしさを感じている。

己も31を迎える身となり、周りの友人に変化が起きている。

ひとつは、遠距離。
ふたつに、結婚。
みっつに、仕事。

ひとつめ、遠距離。

小中学校の頃は親の都合で引っ越す程度のものだったが
ここにきて、様々な理由で友は跳んでいく。

転勤・留学・結婚・帰郷・左遷・流刑…


ふたつに、結婚

結婚した者は家庭に入る。子供が出来れば尚更。

みっつに、仕事

仕事に燃えて、仕事で完結する者。

これら3つの変化が周りにあり
この変化を迎えた友人とはつきあいの頻度・形態が変わっていく。

a:「何十年会っていなくても、ひとたび酒を交わせば昨日出会ったかのような感覚を覚える」友人は
もちろんステキだが、ここではそういう話ではない。

b:「互いに昇るフィールドは違えども、
 あるいはフィールドが同じでもそれぞれ東西南北、それぞれのやり方で山を昇り始め、
 それぞれに楽があり、苦難があり、
 山頂で再会し酒を交わす時にそれら苦楽を分かち合う」友人は
もちろんステキだが、ここではそういう話ではない。

いや、正直申しまして、ここではそういう話ではないのではなくて
己はそのつきあいでは満足できない、というのがより誠実だ。

例外として、aとb、どちらのタイプか
ハッキリと己が意識しているならば満足できる。

例えば、aのタイプの友人として
松村洋祐や丸山晶太郎、丸山耕次郎、金房智子、
“キン肉パスタ”川島賢一、“S山下の男と女コラム”山下祥代…等の方々。

たぶん、家族に近いと思う。
幼少を共に過ごした者、ルームシェアで毎日一緒だった者。
家族は、家を離れても家族なのだから。

例えば、bのタイプの友人として
“candyrock”神田恵介、“childman筆頭”鈴木智也、“伊厨紳士”山本慎弥、
“復活の闘魂野郎”渡辺エイジ、“ケンシロウ”仁藤和良、“オニイサンオブマツダ”松田能成、
“最強弁士”外木暁幸…等の方々。

大学時代に会った友が多い。

大学では、毎日会う友達はおらず、学部が違ったり大学外の友達が多かった。


彼らと長い時間会わないことはストレスではない。

しかし、aかbにハッキリ当てはまらない他の多くの友人、彼らとは今を生きていたい。

今を共に分かち合いたい。

分かち合いたい。

これは己の人生の大きなテーマだ。
 

己たちはこの世に生まれ落ちて「感じる」んじゃないかな。

「感じない」ことは死だ。

生きている限り、狂っていようが、ボケていようが感じている。

感じたら、それを分かち合いたい。

孤独になった者が独り言を発してしまう気持ちはよく分かる。

文章に起こす、体を動かす。

アクションは、他との分かち合い、他の反応、他からの反応を求めるものである。

自己の確認を目的としたアクションですら、自分の中にある客観性(他者性)を必要とする。

感じること。他と感じ合うことはこの世においてとても尚(とうと)い。

尚いかどうか分かんなくたって、あんたは既にそうしてる。

だから、芸術は尚い。人を感じさせる者(芸能人・歌手・作家etc)は重宝される。

だから、ビジネスは尚い。人のニーズを無視したビジネスは成立しない。

だから、ボランティアは尚い。与える与えられる関係など飛び越えて感じ合うのだ。

だから、感じ合う相手である他人は尚いんじゃないか?

だから、家族だろ?恋人だろ?友人だろ?

「共感」が尚い。

己は、より多くの人と、より深く、同じ地平で「共感」したい。

 
友達が離れていくことを嘆く。

それは己が幼いさみしがりやだからだろうか。

恋愛における「依存」よろしく
他者という外部変化要因になにかを望むことは間違っているだろうか。

そうではないと、友よ、君に伝えたい。

だが、求めるにはそれだけの器も必要となる。

己は努力しよう。

友のいる人生のために。

投稿者 多苗尚志 : 19:48
[ 松村洋祐伝丸山晶太郎伝金房智子伝川島賢一伝山下祥代伝松田能成伝外木暁幸伝仁藤和良伝神田恵介伝鈴木智也伝清水宣晶伝渡辺エイジ伝山本慎弥伝友いる随想 ]

06.05.14 日曜日

PARASAIYO CUP 2006

遂に当日を迎えた。

1,000人のマラソン大会だぜ!?

すごすぎる。

もちろん改善点はいっぱいある。

しかし、言わせて頂きたい。

今回、PARASAIYOという可能性の凄さを再認した。

この言葉は自分が属している団体に対する身贔屓の意味と
PARASAIYOというシステム(ボランティアである。学生のオナニーではなく、一線の社会人の団体である。参加者に感動レベルを提供している。社会を変えるムーブメントである。)に対する客観性を込めて述べるのだ。


(町が出来ている)(みんな青でちょっと宗教っぽい。笑。)

クラブで1,000人集まるイベントをやるのとは根本的にワケが違う。

その違いは、イベント終了後の感想において顕著である。

クラブイベントおよび9割のイベントと呼ばれるモノは、オーガナイザーと来場者がいて
オーガナイザーが「来てくれてありがとう。」
来場者が「呼んでくれてありがとう」という旧来の二元論体質の域を出ない。

PARASAIYO CUP 2006は「わかちあう感動」をテーマとしている。

ボランティアが頭で考えるものではなく、体験してみないと分からないように
わかちあう感動の概念も頭ではわからない。


わからないのだが、話を続けると、このイベントにおいては来場者がランナーであるからして主役なのだ。

主役には10km20kmのランというある程度のチャレンジが存在している。

それゆえオーガナイザーと来場者が「感動を分かち合ってくれてありがとう」という相互の地平に立つことが可能なのだ。

ここが一番のポイントだ。

来場者が主役となって、ある程度のチャレンジが存在する条件を満たす。
ならば、また別にマラソン大会をやればいいのかというとそうではない。

そこから更にPARASAIYO CUPのバックグラウンドにあるボランティア精神が大きな違いをもつのだ。

クラブイベントでもマラソン大会でもダメなの。

PARASAIYO CUPじゃなきゃダメなの。

まぁ、内部の者がいくら朗々と語っても仕方ないし、長くなるので割愛するが
展開して強く言いたい事は

情報社会における「共有体験」という重要なキーについてだ。

現代はとかく分かった風に成り得過ぎる。

みれば分かるか?
考えれば分かるか?

そんなことはないのだ。

いまや
映像も音もやり方も考え方も成功の仕方もシアワセの成り方も自由の成り方も

感動すらも与えられる事に慣れ過ぎてしまっている。

情報のトレースに過ぎない。

教科書の検証に過ぎない。

「亜鉛を硫酸に入れると水素が発生する」って教科書にあって
そのまんまやって「あ、ホントだ」って楽しいのかよ、それ!

だから、己たちは渇いてるんじゃないか?

だから通勤電車でそんな暗い顔をするんじゃないか?

お前が主役になれ。

感じるんだ。

そして、折角感じても1人で分かってるだけじゃダメなんだ。

大事なのは他人と感じ合うことだ。

だから、家族がいるんだろ?恋人がいるんだろ?

だから友達と生きるんだろ?

同じ日に同じ天気の下、同じコースを走って、同じゴールにたどり着いて。

表現する言葉はみんな違うけれど、でも今日絶対おなじものを感じている。

友のいる人生KIなんか読むな!(じゃ書くな!笑。)己に会いに来い。イベントに来い!

 
己の誘いに応えてPARASAIYO CUP2006に参加してくれた友よ
感動を分かち合ってくれてありがとう。
己の誘いに「いけなくてごめん」って返事をくれた友よ
感動を分かち合う片鱗をありがとう。

あの日あの場にいた友人たち
PARASAIYOメンバー
“静かなる熱血博多男児”豊田庄吾
渡邊とし子
“小さな巨人”蓮見太郎
“カラテカ”鴻池貴光
“スローでハッピーな人間力”高須多明
駒込大祐
古賀大育
“マネジメント天将”千秋毅将
“パヒデ”馬場英行
皆黒友彌
“控えめな一級士”中上俊介
“目覚める高校生”真部達成
“浅黒い魔人”登坂宗太
“魔人の母”・“鉄の女”登坂静子
“独立独歩”郭翔愛
“度胸・愛嬌・高原響”高原響
吉田丈治
坂井直人
“情熱の歌い手”小橋寛子
“さっそうとおおきくかまえてりんとしている”太田沙織
小竹望
原陽太郎
内沼直美
“絶対笑顔”茂木千尋
“CANDY ROCK”神田恵介
“スピードの哲人”清水宣晶
“不可拘束”辰野元信
松村洋祐
出口孝浩
岩下好夫
岩下恭子
岩下かおる
三好美加
関沢光一郎
“淫靡な淑女”有馬友恵
“キダム”貴田真由美
“プニプニピノコ”中野美和
“岩武士”村上武士
“NO LIMIT”喜安克敏
林淳平
山西礼子
松本社長
“ビビリペンギン”武藤貴宏
“ふらふらライター”基太村明子

投稿者 多苗尚志 : 01:31
[ 松村洋祐伝内沼直美伝真部達成伝皆黒友彌伝太田沙織伝基太村明子伝高原響伝小橋寛子伝山西礼子伝三好美加伝茂木千尋伝小竹望伝渡邊とし子伝馬場英行伝神田恵介伝山田陽明伝豊田庄吾伝村上武士伝佐々木孝仁伝中上俊介伝高須多明伝鴻池貴光伝郭翔愛伝松本社長伝喜安克敏伝林淳平伝出口孝浩伝古賀大育伝吉田丈治伝坂井直人伝関沢光一郎伝駒込大祐伝岩下均伝岩下かおる伝岩下好夫伝岩下恭子伝蓮見太郎伝原陽太郎伝清水宣晶伝武藤貴宏伝有馬友恵伝貴田真由美伝千秋毅将伝中野美和伝辰野元信伝登坂宗太伝登坂静子伝PARASIYO伝 ]

05.11.14 月曜日

誰も僕の絵を描けない

“情熱の歌い手”小橋寛子と共に“candyrock”神田恵介のコレクションを観に行った。

遂に東京タワー

己はケイスケの友人の中で唯一、candyrockのコレクションを全部みている侠です。

他のコレクションはあまりみないので比較はよくわかりませんが
candyrockのコレクションは好きです。

これこれ!って感じ。

投稿者 多苗尚志 : 12:12
[ 小橋寛子伝神田恵介伝 ]

05.11.04 金曜日

東京タワーでコレクション

“candyrock”神田恵介が東京タワーで、自ブランドcandyrockのコレクションを行う。

これまで京王線車内、大学、商店街、廃校となった小学校など様々なステージをコレクションに合わせてきた神田が遂には首都東京のシンボルである東京タワーへと達する。

「今年はコレクションはやらない」と公言していた神田の180度の進展。

これにかける意気込みは相当なものだ。

今回のコレクションは神田恵介というアーティストのターニングポイントになる匂いが充満している。

kandakeisuke=candyrockが東京タワーという選択さながら一気に駆け上がってしまいそうだ。

時代の目撃に参加せよ。

11月14日19時~


投稿者 多苗尚志 : 15:35
[ 神田恵介伝友の活躍 ]

99.08.12 木曜日

夏の英雄日

99年夏、多苗大学三年の夏。

“candyrock=”神田恵介が自ブランドのプレゼンテーションを鹿児島の学生たちに熱望された。

当時、彼のプレゼンテーションを全て目に修めていた己は

今回も当然征くということで、ふたりで鹿児島に飛び立った。

当然、旅費などないのでヒッチハイクで征くことになる。

ケイスケにしてみれば人生初のヒッチハイク旅行で己はそれを先導する。

余裕をみて出ていたので広島に差し掛かった時点で、鹿児島まであと1日余裕がある。

どこかに寄っていこうと話が出たとき、己の頭にフッと

“豪傑”原田広太郎の存在が思い浮かんだ。

奴は福岡の出身でもしかしたら帰省しているかもしれない。

帰省しているかもしれない、というが大学生の夏休みだ。長い休み。

だからこのタイミングで奴が還っているかどうかわからないし、海外にいるかもしれなかったが、とにかく電話してみた。

すると、「おぉ!今年の夏はね、みんなでうちの実家にいこうっていうことでみんな集まっとるばい。ひさし、村上玄ちゃんって知ってたっけ?」

「ああ、知ってるよ。広太郎に紹介してもらった。」

「そうそう。」

「己もね、今九州にきとるんよ。」

「おお!」

「熱い友達と一緒でさ、今日寄ってもいいかい?」

「あ、絶対来て!」

福岡に着くと、昼飯をみんなで喰おうということで

広太郎のお父さんのいきつけのイカの刺身がメチャクチャうまい店にみんなで征くことになった。

広太郎のお父さんがまた豪気という気をまとったような人で気持ちのよさそーな人だった。

日本でも有数の菓子屋の社長であった。

長机に広太郎や広太郎のご家族、友達(境界がよくわからんかった。)、ケイスケと己が
並び今からイカをくわんという時に

“快男児”村上あらしと“京倭”小林篤がコンビで現れた。

今まで色々な名コンビをみてきているし、己自身も誰彼と名コンビを組んでいると思うのだが、

この時のふたりの登場はまさに阿形(あぎょう)と、吽形(うんぎょう)2体で一対の
金剛力士仁王像のようなインパクツ!!!

京都からスポーツカーを飛ばして来たというからかっこいいじゃないか。


あらしは全身黒ずくめで現れた。

己は、広太郎とは個人で仲がイイモノのまだ彼の周りの人脈とは溶けていなかったし、
彼の家族もいわんやをやで、いわばアウェーの場だった。

一方、あらしも似たような状況だったと思うのだが、

彼は初対面の者が多い中、広太郎のお父さんから「君は今なにをやってるんだ」と問われこう答えた。

「自分は今、会社をやっています。今のうちに失敗をしたいと思っています。失敗ほど勉強になるものはありませんから。」

圧倒的な第一印象だった。

あつしは確か、灰色のような、特にハッキリとした服装ではなく、特になんの言動が目立ったわけではなかったが、現れた瞬間に「あ。こいつは己と相当近しい仲になれる」と直感した。

あつしもまたあらしとは違った文脈で誰とでも仲良くやれる気持ちのいい倭だった。

結局、熱い倭と美女たち15人くらいが集まったか。

ざっと名前が思い出せるのが
“豪傑”原田広太郎
 村上玄一
“快男児”村上あらし
“京漢”小林篤
 原田陽太郎
“candyrock=”神田恵介

みんなでとんこつラーメンを食べにいったり、
花火戦争をやったり
サルサバーでサルサを踊ったり
広太郎の実家でギターを弾いたりしてつぶれるまで呑んだり…

もうこのメンバーでの再会はない。

99年、一日だけの英雄日だった。

投稿者 多苗尚志 : 19:12
[ 神田恵介伝小林篤伝村上あらし伝原陽太郎伝縁~出会いの物語 ]