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05.06.19 日曜日

山本家探訪

吉田家で目覚める。

酒の残る体を引き起こし、パソコンお手伝いをするということで
“散歩する金魚”山本恭子のお宅を訪ねる。

なんでもBCCができないのだそうだ。

彼女は、劇団のスタッフをやっていて多数の顧客にメールを
送らなければならないのだが、
彼女が使っているメールはyahooメール(webメール)
でBCCができずに一通一通手動で送って
メール配信するだけでいつも四時間くらいはかかるらしい。

このエントリーを叩いている今から思えば
webメールでもBCCできるだろと思うのだが
webメールなどに頼らずメーラーという文化を根ざしてあげようと思った。

パソコン宣教師である。

しかし、そのザビエル
「11時半には家を出ないといけないので、十時から来ていただけると助かります。」と言われながら「やはり」

11時半着。

大井町の彼女の自宅に早足で向かう。

webメールができるということはインターネットができるということで
インターネットができるということは必ずプロバイダに入っている。

そのプロバイダがなにで、そのアドレスは今どうしてるのかを知りたいが、
案の定、契約用紙がない。

パソコン分かんないという人の特徴である。

本人も、え?プロバイダ?U-senかな?yahooメールかな?
という具合。
(もちろんyahooメールはプロバイダではない。)


けど、チラッとモデムをみつけると
黄色い字でyahooBBと書いてある。

こういうときはBBという大文字がやたら頼もしくみえる。

お父様が、同じマンションの階下で囲碁教室を営んでいるらしく
鍵はお父様に渡してくれればいいから、という。

で、まずは昼飯を食べて!ということで
階下の囲碁教室に行き、お父様に紹介していただく。

山本恭子は「じゃ、ひーくん。またね。」
と言って出ていく。

いきなりお父さんと昼食会見。

「あ…。ども。」

用意していてくれたお昼ご飯が

メチャクチャうまい。

これはすばらしい報酬だ。

そして己は、もうひとつすばらしい報酬を受けることになる。

山本宅を訪ねてホントによかった。

それはお父さんヤマモトタツオさんの存在である。

当年55歳でいらっしゃるということで
いつも、幅をもったとしても±10歳の人々と話をしている己は
この25歳年上である方との会話に鮮烈さを覚える。

メチャクチャ新鮮であった。

そして非常に面白い方。

検索にひっかかるので曖昧な書き方になるが
作詞作曲家として第一線を張るも
健康を崩し、業界から身を退く。

そして20年間今の囲碁教室を続けている。

今の日本になにが足りないかを淡々と、
しかし魂は熱く語り続けるタツオさんに己はすっかり魅せられてしまった。

中国の哲人のようなイメージがある。

軽く釣り糸を垂らしながらも発する言葉は重く。

「ほっほっほ」と笑いながら
今の日本と中国と韓国との関係をお題とし
さらりと空で詩に託し
骨子を同じ人間でしょうに。と括[くく]る。

エッ?ってなもんだよ。

すごい。
おもしろい。
あつい。

もう最高ですよ。

こりゃ、己も遠慮無く真っ正面から主張させてもらうってもんだ。

「山本さん。己は最近思うんですけどね。昔の日本には武士道があった。
 それは死を抱くという文化で死という締切があるから生が輝く。
 しかし、人類誕生以来、死という最大の哀しみの克服こそが…」
「うん。武士道って葉隠に書かれていますけれど、あれは全部読んでみると
 よくわかると思うんだけど、生と死の境をもたないということが…」

昼ご飯を食べ始めたのが11時50分頃で
生徒さんが1時から来ると言うことだったが
1時半まで遅刻してくれたお陰で己は延々と極上の時を過ごした。

会話という極上のエンターテイメントを堪能した。

投稿者 多苗尚志 : 2005年6月19日 08:42編集
[ 山本恭子伝 ]

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