- 03/09
- 湯で迎える
06.03.09 木曜日
湯で迎える
奴が還ってきたらしい。
「奴」というのは“太陽王子”岩下均。己の義弟だ。
「らしい」というのは奴からメールをもらっていたから。
ヒトシは、この1年半、南米諸国で暮らしていた。
南米というに乱暴だが、ブラジル・コスタリカ・チリ・アルゼンチン・ニカラグア・ボリビアなど
各国をまたいで生活していたので南米と言うのが正確なのだ。
己も奴が向こうにいてたまにメールをくれる間
いちいちどこにいるかなど気にしなかった。
奴は南米にいると思っていたのだ。
その南米を奴が出発するときに「今から日本に帰ります」っていうメールをもらったから、
そろそろ還ってきてるらしいな、と予想しているのだ。
ヒトシの夢は発展途上国に学校を建てること。
曰く「世界の識字率を上げる」
ならばそれに沿ったNPOなどで働くのが常道だろうが、彼はそれをよしとしない。
まずは「旅行者ではなく生活者として各国に馴染みたい」ということだった。
彼らしい考えで己にはよく伝わる。
ヒトシとは西落合・牙城でルームシェアをしていた。
日夜、語っていたし、よく一緒に国内旅行にも出かけた。
奴のことが8割くらい分かった頃、「南米に経つ」と言い出した。
それから2年半が過ぎ今、己は永福町・永福庵に移っている。
仕事を終えて庵に還ると鍵の掛かった玄関前にヒトシが座って本を読んでいた。
「おやおや。」
久しぶりだなぁ!なんて叫んだりはまさかしない。
淡々と2年半前のまま。
「そっか…。じゃあ、銭湯いこっか。」
ヒトシと旅行に出た時は必ずと言ってイイほど温泉にいった。
温泉がなければ銭湯をみつけて入った。
風呂好きな我々である。
印象的だったのは青森の銭湯である。
浴槽はひとつしかないただっ広いだけの銭湯だったが、それ故、湯煙で向こうが見えない。
なんとも幻想的な銭湯だった。
下関の銭湯はひどい。
日替わり風呂などと聞こえはいいが、みると黄色の蛍光ペンである。
効能とかそういう話ではなく、明日は何色?とか色の話にすり替わる。
大阪もギャグだ。
電気風呂のショックが強すぎる。
罰ゲームとして充分活用させて頂いた。
そうやって所を変え、湯を変えて我々は語り合ってきた。
1時間入ってることはザラだ。
以前、ルームシェアしていた牙城には四畳半くらいの無駄に広い風呂があったが、
それでも自転車で近くの銭湯にいくことが何度かあった。
やはり銭湯の湯量と湯煙に絶対の差があるからだ。
今日も自転車だ。
昔となにも変わらず2人乗り。
ヒトシが漕ぐ。己が座る。
荷台などいらない。無理矢理2人乗り。
銭湯が近くなってくると湯の匂いが通りに立ちこめている。
風呂者ならこれだけでワクワクする。
1時間入るというのはこうだ。
体を洗って髪を洗って、湯船につかって、また体と髪を洗う。他の湯船も全部入って
水風呂に入ってまた湯船に入る。
ゆっくり時間をかけて。
湯自体よりも湯煙に身をくぐらせるが如く。
裸になるだけでは裸になりきれないのかもしれない。
今日も何度も何度も湯煙に浸かって、
ヒトシの南米でのあらましをずっと聞いていく。
学校を建てたいならストレートに直結した行動をとるべきであり、
のんびり南米で暮らしている場合ではないという意見もあるかもしれない、
直接、夢に向かわないことは逃げである、という見方もあるかもしれない。
しかし、それは他人の意見であり、彼の意見ではない。
彼はそう考えない。
2年半の間、言葉を覚え、宗教と農業のある生活に馴染み、
人々との笑顔の出会い涙の別れがあり。
そうしてはじき出した彼の考えだ。
周りがどう言うとか論理的にどうであるとかちゃんちゃら無意味だ。
ちゃんちゃらと言うに、実は己が口を出していたのだ。
昔の己なら兄貴面してあーだこーだ言っただろう。
だが、そこは己にも2年半が過ぎている。
彼はこう言った。
「もう溜めてきたエネルギーが爆発しそうだよ。
いよいよ学校作りに向けて働いたり経験を積みたい。」
日焼けした彼の顔が蒸気に赤らんでいた。
響き渡る湯の音が岩下均の帰国を迎えていた。
投稿者 多苗尚志 : 2006年3月 9日 19:43編集
[ 岩下均伝
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