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06.05.26 金曜日
太陽モーニング
■友いるバックグラウンドストーリー
※友いる筆者の多苗本人以外の視点で物語を編んでみます。
憶測の部分もあることを予めご了承下さい。
その倭[おとこ]は昔、“釈迦力小僧”と呼ばれていた。
「眠い」とか「腹減った」とかは言うけれども、彼が「疲れた」と言うのを聞いた者はいない。
彼は異常なまでの無尽蔵の元気でシャカリキに毎日を疾走していた。
その小僧は南米に丁稚奉公に渡り、その元気を太陽のレベルまで高め、順調に出世し王子になって
還ってきた。
“太陽王子”岩下均である。
これは彼が“釈迦力小僧”とすら呼ばれていなかった頃の物語。
1997年
東京都北区は王子で小・中・高と学校が一緒だった“咲花青将”佐藤吉行(当時“受切怠惰”)の部屋に岩下はいた。
高校二年生だった岩下は佐藤と学校の宿題をやっていたがそれを終わらせてみてホチキスがないことに気がついた。
岩下が「買ってこようか」といつもの元気を活かそうとすると
吉行は「いいよいいよ。下にあるから。」と答えた。
吉行の部屋は父親の会社の社員寮の1室であり、五階にあった。
下というのは四階にある兄の“柔らかい頭領”佐藤孝治の部屋のことだ。
佐藤孝治は90年代後半からルームシェアを展開しており、今でいうインキュベーションオフィスみたいなものを兼ねていた。
彼自身、事業を展開しようとしていたし、そこでシェアしている仲間たち、そこに集まってくる仲間たちもそうだった。
岩下も1,2回そこを訪れたこともあったが特にビジネスというものには興味がなかった。
ビジネスというと高校生の岩下にはなにか堅い感じがして、邪魔しちゃいけないという気持ちもあった。
今回も部屋の入口で待っているだけだった。
吉行がホチキスをとりにいってるあいだ、手持ち無沙汰だし入口からキョロキョロと室内を伺っていた。
パソコンが数台あって「へぇ」とは思っていたが、さして興味はなかった。
カタカタと誰かしらん数名がキーボードを撃つ音が静かに響く部屋の奥で
「ホチキス無い?」という吉行の声が小さく聞こえる。
飲食店用の四面ガラス張りの大きな冷蔵庫がある。
それをみてちょっといいなぁと思う岩下。
自分の大学生活の部屋にもあんなのがあればいいなぁと思う。
と、その時
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」と
叫ぶ声が聞こえた。
吉行の声ではない。佐藤孝治の声でもない。
誰か。
ここが堅いビジネスオフィスだと思っていた岩下を動揺させるには充分な叫びだった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
叫び声は更に続いた。
吉行がホチキスをもって還ってきた。
(なんなのあの叫び?)と小声で吉行に聞いてみた。
吉行は(わかんない。なんか興奮してる人がいた)と答えた。
「「お邪魔しましたー」」と2人で部屋を出ていこうとする間際
佐藤孝治の声で
「タナエ君、どうしたの?」という声が聞こえた。
「いや!熱いメールが来たッス。」
意味が分からなかった。
四階にもこんな人がいるんだ。
これが岩下均と多苗尚志の初めての出会いだった。
1998年夏
岩下は他の多くの高校生と同様に三年生の夏を受験勉強に燃やしていた。
吉行の部屋で豪田と一緒に3人で勉強していたところ、突然ドアが空いて侠[おとこ]が入ってきた。
ファッションセンスのかけらもないメガネ。寝ぐせのついた髪、よれよれのトレーナー。
岩下はこの侠があの時のタナエであることを直感で感じ取った。
「吉行君、マガジン無い?」
「え?あ、ありますよ。」と答える吉行から多苗はマガジンを受け取るや、
畳にごろりと寝転がりそれを読み出した。
どうみたって受験勉強してる雰囲気の中にいきなりあがりこんできて
寝転がって漫画を読み出す侠に岩下は少なからず驚いていた。
「あ。タナエさん。僕の友達の均と豪田です。」
「ん?」寝ながら目線を向けられ、岩下は
「あ、岩下と言います。」とあいさつをした。
侠はガバッと起きあがると「多苗と申します。よろしくお願いします。」と言って
またごろりと横になった。
「あの、四階にいらっしゃる方ですよね」と岩下が言うと
「うん。そうだよ。」と多苗は答えた。
「大学にいってらっしゃるんですか?」
「うん。三年です。」
「P大ですか?」
「うん、そう。」
「僕もP大狙ってるんですよ。」
「あ、そう!」と大きな声を出すと多苗は起きて座り、岩下を正視した。
すぐに「頑張るといいよ」と言ってごろりと寝た。
いつまでも話していられないので岩下もそれくらいで勉強に集中することにした。
30分くらいすると、受験生同士、情報交換を始めた。
「P大はさぁ、やっぱ英語ができないと勝負になんないよね。日本史とかさ、差がつかないし、
現代文は勘じゃん?」と豪田がいう。
「だよなぁ、やっぱ英語かぁ」と岩下も相槌を打っていた。
多苗に横目を向けると全然気にしてないようで漫画を読み耽っていた。
豪田が続ける。「やっぱ単語力が圧倒的に足りないよな。佐伯とかも言ってたけどやっぱ単語覚えないと
話にならないって。やっぱP大いくんだったら最低3000は覚えないとね。単語分かればあとは大体読めるようになるって。」
「そっかぁ」と言ってると、多苗が漫画を置いて座り、こちらを苦虫を潰したような顔でみている。
『なぜ自分にアドバイスを求めないのだ』とでもいうのだろうか。
岩下はそんなことを聞いたら悪いかなと気遣っていたのだ。
多苗はおもむろにしゃべり出す。
「P大を目指すんだったら、現代文こそやらなくちゃダメだ。現代文は勘だと思ってるだろ。
論理だ。論理が分かればば確実にそれが答えだと説明できるまでになる。英語だって同じだ。
単語はむしろ少なくたって論理が分かれば勝負できる。岩下君、己が使ってた教材とか貸してやる よ。」
1998年冬
四階のインキュベーションオフィスから飲食店が生まれた。
藤沢烈が経営者となった「狐の木」というBarで岩下も高校生ながら時々遊びにいっていた。
多苗はそこでオープニングスタッフをやっていたようだったが2ヶ月でクビになったらしい。
今では王子を離れて大学の近くで一人暮らしをしているそうだが、1ヶ月に1回は店に呑みにくるという。
岩下は彼女と呑んでいた。
呑むといってもモスコミュールくらいのもんで、彼女はノンアルコールだ。
多苗が店に入ってきて、カウンターに座ったのがみえた。
岩下は少し時間を置いてからカウンターの多苗の方にあいさつにいった。
「どうも。」
「おっ!えーと…吉行君の友達のえーと、均君!」
「はい。岩下です。あの…ちっと俺の彼女紹介したくって。」
「ああ、どうも多苗と申します。」
「あと、あの手紙書いてきたんで後で読んでください。」
「手紙?は。ありがとう。わかった。」
岩下は、お金を払うと彼女と共に店を出た。
「手紙ってなんなの?」と彼女に聞かれ、岩下は
「ああ、まぁ、ラブレターだね。
男にラブレター出すのは初めてだよ」と答え、彼女の不審を思いっきり買った。
岩下は、ラブレターとはいうもののまるで緊張しなかったし
水が高いところから低いところへ流れるように
鮭が生まれた川に戻ってくるように
そうすることが当たり前のような、清々しい気持ちで一杯であった。
そのすがすがしさがまた彼女の不審を買った。
店のカウンターには多苗が尚、座っていた。
なけなしの金でスコッチを傾けながら多苗は岩下からもらった手紙を開けてみた。
『これからは受験勉強に集中するので春まで会えないと思います。
必ず合格して春からはタナイ兄貴についていきます。
よろしくお願いします。
岩下均』
多苗がタナイになっているイマイチっぷりはどうかとして、
まぁ、自分も彼の苗字を覚えていなかったのだから。
しかし、なんだか彼は感じるものがあったようで自分についてくるのだということだ。
こっちも彼に正面からつきあってみるとするか。
と、多苗は思った。
岩下は多苗を兄貴と呼んだことはない。
兄貴と字面にして多苗に宛てたのもこれが最初で最後である。
だが、確かに岩下と多苗の歴史はこの日動き始めたのだ。
■友いる出来事
※実際の出来事です。
“太陽王子”岩下均と渋谷で朝食を一緒に摂る。
ちょっと互いに努力すれば朝飯を一緒に喰う時間を作れると知ったのだ。
ほんの30分しか一緒にいられなかったけれど、こいつと一緒に朝飯を食えるなら
至福です。
投稿者 多苗尚志 : 2006年5月26日 19:44編集
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