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- ちくわくん
07.09.15 土曜日
ちくわくん
梶山啓介と呑んでいる。
はじめはどこか遠慮があって表面的な話をしていた。
無理からぬことかもしれない。
表面的な話をするというのは必ずしも
自己の保身からくるものではない。
組織が複雑に絡む現代社会においては
表面的な方が礼儀となりうる局面も多々ある。
各組織において背景の精神文化は微妙に違う。
例えば、性的な冗談ひとつとっても
笑い飛ばせる組織もあれば、
深刻にそんなことを発言する奴は組織から外れて欲しいと思われることもある。
個人の本音を通す方が是か
「孤児の自立を支援する」「なによりもお客様の満足を優先する」など組織としての目標を
徹底することが是か。
それは異なるのだ。
さいわいにも、梶とは少々の時間を経て本音で語り合うことができるようになっていた。
しかし、それでお互いようやっとスタートラインに立ったに過ぎない。
これからどんな共有体験をしていくのか。
梶山啓介と多苗尚志の歴史が動き出したに過ぎない。
語りと体験は相互補完関係にある。
どちらが先に来ても構わないが
相手の行動指針や思考体系、その原風景などを探るのが語りであり、
それらの結果として体験や行動が現れる。
自分が捉えている相手の行動指針にそぐわない行動を相手がとったのを
目撃した時、再び語りによって理解を修正することがあるだろう。
そうして己は他者を知るのだ。
他者を知るということが友と生きるということであり、
友と生きるということは人生という宇宙を漂う意味のひとつではないか。
他者を知るというのは愛の意味のひとつでもある。
閑話休題、還俗する。笑。
梶は…寝ていた。
自由が丘の、昼間、人々が行き交う広場で四肢を拡げて寝ていた。
時間はもうすぐ、終電の時間を迎える。
“がちゃぴん姫”宮下麻里待ちなのだ。
自由が丘に着いたところ、梶に宮下麻里から電話があった。
今日、梶が己と呑むということで
「銭湯に連れていかれるから気をつけなさい」などと
メールでアドバイスしていた流れもあって
なんとなく繋がった電話で
梶「麻里も今から来いよ。」
「えー?どこ?」
「自由が丘」
「電車もうないよ(彼女は勝ち鬨)」
「あるって。大丈夫だよ!」
なにが大丈夫なのか。
こいつも己と似たいい加減さを持つなと知る。
終電調べて、まだあればいく、ということで電話が閉じられ
「あった」というメールが来た。
麻里ちゃんもやってくれるのぅと2人で話し合い、寝た。
「ちょっと、寝てんだったら還りたいんですけど」
足を蹴られた感触を覚えて目を覚ますと宮下麻里がいた。
?
ここどこ?
え?宮下麻里?
一瞬寝ぼけたりして。
その後、終電の亡くなった自由が丘を3人で徘徊。
都市の頂きを目指したり、秘密結社的な動きをする。
らーめんを食べて、朝まで語る。
投稿者 多苗尚志 : 2007年9月15日 00:08編集
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