『ボンベイ』を贔屓に我が親友へ

己の二浪目というのは基本的に宅浪で、ますます人間関係を切ったものだった。

母親に強く言って、かかってきた電話も受け付けなかった。勉強のことだけを考えて孤に徹した。
そんな中でも己はいつかキムと『ボンベイ』でふと出会い、
当たり前の顔してカウンターに座り、「ビーフ、超超極、大盛り」と頼み、
お互い顔を見合わせもしないで、キムは足を組んでいて己は自分の足下を何気なくのぞき込んでいる。
そんな刻が展開されるんじゃないかと考えていた。
奴が何を考えていたかは知らない。
己は金曜日だけは駿台にモグり、一人『ボンベイ』に通っていた。

己が自分は孤独に強い人間だと言うことが分かり、(それは己にとって非常に意味があり、非常に意味のないことだった) 勉強のペースも定まりこのペースを試験日まで続けようと決めた頃、
己は[辛口]が食べられるようになっていた。

初期設定から[辛口]のメニューである「ボンベイカレー」に挑戦できるようになったのが嬉しかった。
[普通]ですら大苦戦していた己がよくここまできたものだ。
努力といっても毎週通ったというだけのことだが、達成感があった。
その瞬間、なんか店中の人が祝福してくれたような…。もちろん錯覚である。


キムはいなくなった。

奴は柏にさえいなかった。
大学の関係で八王子かどっかに一人暮らしをするようになったということを風の噂で聞いた。

己とキムは親友だったがそれと同時に確固とした個人だった。
奴が今、どこで何をしているかなんかまるで分からない…と、同時に全て分かっていた。
だから、噂を根掘り葉掘りきこうともしなかったし、思い出したように電話するようなこともなかった。
己は一人、正確に金曜日を刻み続けていた。

『ボンベイ』にはマスターとおかみさんがいる。
おかみさんはいい歳の取り方をされている味のある方。
おかみさんというのはここでの便宜上の呼び方で、己は一度もおかみさんなんて呼んだことはない。
なんと呼んだらいいか分からないのでずっとそのまま呼ばないで来ている。
キムは己を『ボンベイ』に初めてつれていってくれたときからおかみさんに「木村君」と呼ばれていた。
どうやって名前を覚えてもらったのだろう。
調子よく「木村です」なんて言ったのだろうか…。分からない。
その事も聞いてみたいが多分今キムに会うことができたとしても己は聞かないだろう。
ずっと謎であり続けそうだ。

現役、一浪、二浪と三年も己は『ボンベイ』に通ったわけで己はお得意さんである。
おかみさんのほうから「あら、こんにちは」と挨拶してくる。
「こんにちは」己がおかみさんを呼ばないようにおかみさんも己を呼んだことはない。
名前も聞いてこなかった。
「あなたは…」なんて特に人称が出るような場面もなかった。
おかみさんとは、カレーが出てくるまでの間、軽い世間話、互いの上っ面な近況をあいさつ程度に話すのだった。
己にしてみれば、いきつけ、なじみの飲食店というものの生まれて初めてが『ボンベイ』だった。
あいさつ程度でも充分うれしい。

あいさつと言えば、木村の名前を出すこともあいさつだった。
奴の名前を出せば「あら、こないだ来たわよ。先週の水曜だったかしら」なんて情報が聞けたのだった。

高校時代アレほどドンピシャだった己達も浪人しだしてからはすれ違い始めた。
己が二浪しているときも何回か奴は店に来ていたみたいだったが、いつも金曜以外の日だった。
しかし、それはむしろいいことで、己はキムに会いたくなかった。
やっと[極辛]に手をつけられるようになったばかりの頃だったから。
ただ、奴と一緒に食えば面白いだろうなと思っていたことがひとつあった。

己が一人でカレーを食うようになってからはルールが変わり、
漬け物のピクルスにまるで手をつけずタマネギだけを食べるようになっていた。
奴がピクルスだけ食べて己がタマネギだけ食べればつまみの皿はひとつで足りるなぁといつも思っていた。

己はよかったと言えばよかったし、 あんだけやったなら当然といえば当然で志望大学に受かった。

大学に受かったと言うことでキムとも連絡を取り合い不自然に出会い、
柏の奴の実家の車庫でウイスキーを飲み交わした。
『ボンベイ』はとっくに閉まっている時間だった。
その後、『ボンベイ』に行ける時間に会ったときもあったが、
そして『ボンベイ』の話が出たこともあったが行きはしなかった。
己は行きたくなかった。不自然には。

大学に入ってからというもの己は金曜を刻むことは出来なくなったが、
時々『ボンベイ』に行っては自分の舌が衰えていないことを確かめ、[超極]を口にしていた。
足掛け四年。やっとあの時のキムに追いついたのだった。
[極辛]ではもう物足りないくらいになっていた。

しかし、大学二年生になり、柏を離れ東京は北区で共同生活をするようになってからは極端に足が遠のいた。
それでも舌は辛味を求めているので他のいろんなカレー屋を道場破り気分で荒らしては、
「この程度の辛さか」とせせら笑っていた。
たまに柏に帰ることもあったがなぜかそれはいつも火曜日だった。
火曜日は『ボンベイ』の定休日なのだ。
分かっているのに同じ過ちを繰り返し、
閉ざされたカレーの香りが染みついたシャッターの前で(自分に)舌打ちしてとんぼ返りしていた。


木村は学校を辞め、結婚した。


己は『ボンベイ』については特に触れないスピーチを友人代表として贈った。


不思議なことだが他の店の一番辛いものが食べれたとしても
『ボンベイ』の[超超極辛]が食べれるようになるわけではないのだ。
その店の方が『ボンベイ』より辛かったとしても。
きっと『ボンベイ』のカレーは辛いだけではないからだろう。
辛さと絡み合う新しい味の世界が辛さの段階ごとに存在している。
己の舌が辛さに慣れたからといっても『ボンベイ』の新しい段階の味を食べる資格が備わったとは思えないのだ。
その資格を得るにはやはり『ボンベイ』に通うこと。当時の己の状況ではそれは無理だった。

己は距離やら定休日やらに阻まれてほとんど『ボンベイ』に行かなくなった。
現在は特に通うカレー屋すらなく、己の舌のレベルは[辛口]くらいに落ちていることだろうと思う。

よん巻きへ続く