組織・グループなど


永福庵/エイフクアン

■住居

藤沢烈が主宰する明大前と永福町にある古い一軒家。冬は超寒い。夏も超暑いハズ。

牙の城で共に暮らしていた伊藤啓二が彼女と同棲をすると言って出ていった。

結婚話も持ちあがったようだったが破局。

ひとりではそのステキなハウスを維持できないため、またどこかに転がりたいという話を己が受けた。

ちょうど烈が同居人を探しているというような話を聞いていた為、そこを紹介した。

すると、更にもう一部屋空いているから「多苗君もどうか」と云われる。

家賃は15000円も上がるし、特に魅力を感じない街だが、牙城を出る頃合いも感じていた。

一緒に烈に会うまでは結構遠いとかなんやかや文句を言っていた啓二だったが

部屋をみるとその場で入居の約束をした。

別に全然家としての魅力は感じられないと思うのだが…建築家の考えることはよくわからん。

「いや、僕は決断が早いんだよね」というコメントもなんだかなぁという感じだ。

満足そうな烈。「多苗君はどうするの?」

「いやぁ己は…」と応えると

「えええ?」という顔の烈と啓二。

己、入居らしいです。

烈も啓二も忙しく帰ってこない日が週に何回かあります。

3人ともルームシェアを何度か経験しているので、今更浮かれるようなことはないのですが

ふたりともかなり魅力的な人物なのでそれがいい。

たまーに30分でもキッチンで酒を呑めることがあればそれがシアワセ。

3人とも同い年。結婚前の最後のシェア生活となるか。

井の頭線がまるでバカみたいに混むことだけがムカつきますが

それ以外は特に不満はありません。

渋谷にも新宿にも15分で出れてイイ感じです。

 


(樂)音が楽しくなるとき

“がくだんおとがたのしくなるとき”。バンド。通称音kiss。98年春結成。森田英一が楽長、己が団長だった。100人でバンドを構成して客よりもバンドの方が多いライヴをやろうと燃えた。98年に行われたクリスマスライヴLove&Happiness〜誰か私にチューをして〜”は、かなりラブラブでハッピーだったと好評。その後CD制作に入ったが99年初夏に活動停止。バンドメンバーは23人でストップ。様々な思い出と出会いがあった。


牙の城

00年2月23日からスタートした多苗を城主とする共同生活スペース。通称「牙城」。東京新宿区落合にある。
マンションの五階ワンフロアに展開された間取りは5Kで、広さはどどんと128平米。
この物件に出会うまで三ヶ月の紆余曲折があった。屋上からはサンシャイン、東京タワー、ドコモビル、中野サンプラザを望むことができる。晴れた日には富士山も見える。四年の歴史のあいだに14人の民が住み、現在男女合わせて七人が生活している。城民の国籍も豊かでこれまでに、アメリカ、コスタリカ、イギリス、ニカラグア、オーストラリア人を擁した。ホームパーティーの「牙の城パーティー」は伝説的なものだったが、あまりに警察沙汰になるので現在は中止。来城者は延べ千人を軽く越える。雑誌やテレビなどの取材も何度かあった。


気合血族

99年結成。己を長とする一族。血の杯を交わし、義兄弟の契りを結ぶ。その絆と、気合という自分たちで定義し、探求し続ける力を武器に、自己成長、自己実現を図る。
とりあえず無茶だけどアホだけどなんかスゴイという意味では、電撃ネットワークか気合血族かと云われている。


狐の木

藤沢烈が夢に描いていたバーで、色々な協力の下98年7月1日に王子に開店。狐の木とは、「大晦日に関東中の狐が一本の木にあつまったという」王子に伝わる伝承からつけた名前。01年11月に閉店してしまうが、その名前の通り閉店までに数々の出会いと物語が綴られた。


豪傑

豪傑とは“自分の人生に誇りを持って、自分に正直に生きる者”。2001年にTGAK、ザ・グレート・秋の行楽というイベントが静岡・下田で行われ、そこに集結し思いの丈を叫びあった十八人にルーツを求めることが出来る。現在、尚も増員中。

 


佐藤ビル、0203文化/サトウびる、マルニマルサンブンカ

佐藤孝治が展開していた東京北区王子に存在した共同生活スペース。

佐藤家の家業が電気・電設屋さんで、社員寮も兼ねて古いマンションを所有していた。

そこの物件で、共同生活ができるように佐藤孝治が、父・佐藤行雄氏に直談判して聞き入れられ

402号室と403号室が解放された。

それを指して0203文化と呼ばれるが、

その文化の洗礼を受けた者たちは、行雄氏の寛容性と、佐藤孝治の先見性に大きく感謝をしなければならないだろう。

 

佐藤孝治を軸に若者が集まり、その若者がまた若者を呼び、共同生活を通して夢を求め、追いかけた。

 

己はそこの6人目の入居者。

佐藤孝治との縁で遊びに行ったのが始めで、

住人の藤沢烈と出会い、

「よかったら多苗クンも一緒に住みましょう」という社交辞令を言質に、その二日後、 97年五月十五日入居。

東北、関西、九州まさに日本全国から若者が訪ねてくるのは日常茶飯事。

朝起きて隣に知らない人が寝ていて起きたら名刺交換が始まるのが基本だった。

生活環境は、劣悪でスモーキーマウンテンとも揶揄された。

当時にしては珍しくLAN環境(よくオチた)が整備された事務所(後にここから会社や店が生まれた。)としての02は前の住人が猫を飼っていたので基本的に猫臭い。

生活空間としての03は、四畳半×2と狭いキッチンと臭いトイレと入れなくて物置になっていたお風呂があるだけ。

ここに最盛期は11人が住んだので、イラン人部屋を目指していたと云っても過言ではない。

昼間は事務所に誰かいて夜は学生が朝まで起きているという不夜城サイクル。

11人は雑魚寝でやっと寝れたのでそこへお客さんが来ると、交代で寝ないと布団が足りないと云う今考えればギャグ空間。

0203には住人の求心力となる魂が厳然と存在し、住人はその魂を受け継いで卒業していった。

(己が把握している)卒業者に佐藤孝治、藤沢烈、西崎裕樹、佐野哲史、玉山悟、平手喬久、渡辺エイジ、三好力、大石哲之、名波健太郎、横田晋一、阿久根武、伊藤祐一郎

己は、ここから多くのかけがえのない仲間を得ると共に、多くの生き方を目の当たりにし自分のオリジナリティを模索した。

自分が成功し、仲間にも成功してもらうことで佐藤ビルを平成のトキワ荘としたい。

98年五月感動の卒業。00年初春、家のトラブルで家なき子となり一ヶ月だけ戻る。戻ってくんなよと非難轟々だった。牙の城のモデル。


牙の城、参照


城民

牙の城住民を指す。共同生活してるとね、だんだん色々なことに慣れてきます。イイ意味でも悪い意味でも。

 


イベントプランナーズスクール

TOW主宰の企画塾。多苗も通学しております。あり得ない充実内容です。集まってくるみんなもイベントや仕掛け好きでよろし。

PARASAIYO

ムーブメント団体。一年に一回、フィリピンの孤児院を訪問する活動をしている。一年間、メンバーがそれぞれ開催するイベントで募金を集めてそれを寄付するというスタイルをとっている。募金を送るだけの団体なら数多く存在するが毎年一年に一回、訪問する団体というのは珍しいのではないか。98年から活動を続けている。子供たちはPARASAIYOのメンバーがやってくるのを本ッ当に楽しみにしている。
そんじょそこらのスターが来るより楽しみにしているのだ。PARASAIYOと子供たちはお互いに与え、与えられている。
05年現在PARASAIYOメンバーは学生・社会人を合わせて60名ほど。いつでもあなたの参加を歓迎している。

 

 


安原荘

市橋亮一が見つけた、一部屋一万五千円、大家さんメチャイイ奴の奇跡の物件。名古屋にあったが現在は取り壊されてしまった。この物件こそまさにトキワ荘のような作りをもっていた。佐藤ビルと違い、ちゃんと一人一部屋。鍵も閉められる人道的な物件。やはり学生たちが集っては青春していた模様。市橋、湯地、平手、横田、もっきー、土方氏ら優秀な人材を輩出した。それぞれ散り散りになった今もやはり団結力を有しており、そのつながりはみていて微笑ましく、ほんの少し羨ましい。


夢あるセミナー

和田清華社長率いる有限会社「私には夢がある」の主催するセミナー。色々な気づきがありますよ。
己もスタッフとしてよく働いています。