佐藤孝治が展開していた東京北区王子に存在した共同生活スペース。
佐藤家の家業が電気・電設屋さんで、社員寮も兼ねて古いマンションを所有していた。
そこの物件で、共同生活ができるように佐藤孝治が、父・佐藤行雄氏に直談判して聞き入れられ
402号室と403号室が解放された。
それを指して0203文化と呼ばれるが、
その文化の洗礼を受けた者たちは、行雄氏の寛容性と、佐藤孝治の先見性に大きく感謝をしなければならないだろう。
佐藤孝治を軸に若者が集まり、その若者がまた若者を呼び、共同生活を通して夢を求め、追いかけた。
己はそこの6人目の入居者。
佐藤孝治との縁で遊びに行ったのが始めで、
住人の藤沢烈と出会い、
「よかったら多苗クンも一緒に住みましょう」という社交辞令を言質に、その二日後、 97年五月十五日入居。
東北、関西、九州まさに日本全国から若者が訪ねてくるのは日常茶飯事。
朝起きて隣に知らない人が寝ていて起きたら名刺交換が始まるのが基本だった。
生活環境は、劣悪でスモーキーマウンテンとも揶揄された。
当時にしては珍しくLAN環境(よくオチた)が整備された事務所(後にここから会社や店が生まれた。)としての02は前の住人が猫を飼っていたので基本的に猫臭い。
生活空間としての03は、四畳半×2と狭いキッチンと臭いトイレと入れなくて物置になっていたお風呂があるだけ。
ここに最盛期は11人が住んだので、イラン人部屋を目指していたと云っても過言ではない。
昼間は事務所に誰かいて夜は学生が朝まで起きているという不夜城サイクル。
11人は雑魚寝でやっと寝れたのでそこへお客さんが来ると、交代で寝ないと布団が足りないと云う今考えればギャグ空間。
0203には住人の求心力となる魂が厳然と存在し、住人はその魂を受け継いで卒業していった。
(己が把握している)卒業者に佐藤孝治、藤沢烈、西崎裕樹、佐野哲史、玉山悟、平手喬久、渡辺エイジ、三好力、大石哲之、名波健太郎、横田晋一、阿久根武、伊藤祐一郎
己は、ここから多くのかけがえのない仲間を得ると共に、多くの生き方を目の当たりにし自分のオリジナリティを模索した。
自分が成功し、仲間にも成功してもらうことで佐藤ビルを平成のトキワ荘としたい。
98年五月感動の卒業。00年初春、家のトラブルで家なき子となり一ヶ月だけ戻る。戻ってくんなよと非難轟々だった。牙の城のモデル。 |