【気づきの対話】
自分が昔書いていた気づきを再掲(多少加筆修正)し、
改めて今感じることを自己対話。
~2006.12.18~AでありBである-言葉の限界を超える-
シェイクスピアのマクベスの冒頭で
白いは黒い 黒いは白い
きれいは汚い 汚いはきれい
という部分があるが
高校生の頃はなんのこっちゃわからず
ただの言葉遊びのようで腹が立っていたが今ならわかる。
AでありBであるということが
真理であり、真実であり、最強であり、…である気がしている。
なにかを主張する時、Aであると断言することは
Bを否定している。
だが、本当にAなのか?という疑いは究極的に
晴れることはない。
結局、「正解は自分にある」わけだから
キメの問題でしかない。
生きていくためにはキメや選択が必要であるが
本当にAなのか?ということは常に認識していたい。
物事には対比が存在する。
善悪、表裏、正邪、明暗…いくらでも。
たとえばA4の紙ペラをもち、
裏と表があるが、その裏と表の間はどちらなのか。
裏である!
表である!
と断言した瞬間に言葉は強さ[こわさ]をもつ。
強いは弱い。
杉の大木は台風に折れるが、柳は折れない。
断言のジレンマを超え、
言葉と言葉で言葉の間を表現して言葉の限界を超える。
AでありBでありたい。
【今想う己】
確かにこれは強力である。
ヒンズー教の聖典であるバガヴァッドギーターにも同様のことが
書かれていたのを後年知った。
これを多用し、真理を身につけた気持ちで友達と接し
なにを相談されても、それはね、AだけどBなんだよと言い続けていたら
「正しいけど、何も言ってない!」
と喝破され目が覚めた。笑。
言い切った瞬間にウソになる。
しかし、言い切る勇気もある。
本当に正しいかどうかわからない。
しかし、自分はその立場を貫く。
その力強さ、カッコよさは
もう一度己の中に注目したい。
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