多苗尚志の気づき

06.04

ここちよい進歩

 

 

■価値観とは

価値観とはなんだろう。

己はずっとシアワセになるために必要なものだと思っていた。

なぜ生きているか→シアワセになるため→シアワセになるためには各個人の価値観の全うが必要。

己の価値観は友人と生きることにあり、友人と生きていることを実感した時必ずシアワセを感じるが

シアワセはそれを満たすだけでいいわけではないと気づいた。

100%言い切れていないと気づいた。

価値観とはなんだろう。

シアワセを満たすひとつの必要条件でしかないのだろうか。

そもそも「なんのための」というわけではないのか。

06.04.16

■幸福論改

我々人類はなぜ生きているのだろう。

生きているから生きている。

これが全人類に共通する基本。

疑いようも反駁の仕様もない。

その次にシアワセになりたいから生きている。

これは恐らく全人類に共通。
疑うことはできるかもしれない。

まぁ、その検証はささいなことだろう。

では、どうすればシアワセになれるのか。

シアワセとはなにか。

シアワセとは満たされている状態、
満たされるとは自分を愛することができること。

自分を愛するには自信と愛の経験が必要。

およそ人の行動の大体は、自信と愛の獲得に向いている。

仕事をすること、恋人を得ること、成長すること・・・

さいわいなことに己は両親の深い愛情を受け、
一人っ子として育ったためにさみしがり屋で、それ故、人から愛を受ける技術を身につけ、
愛をたくさん受けたために根拠のない自信を形成し、

自分を愛することに成功している。


己は満たされている。


シアワセはこの世界を天国に変える。

己は今、生きているだけでシアワセである。

己は30歳でハッピーエンドを迎えた。


ハッピーエンドで終わるのは映画や芝居だけであり
己の生はまだ幕を閉じない。

一時期、このハッピーエンド・天国に退屈を感じてもいたが

より高密度・高確度なハッピーを積み上げればいいじゃないか。

変容を伴わない、程度の刷新はやはり多少退屈であるが
まぁいいじゃないか。

程度の刷新はより多くの他人に、この「シアワセの感覚」を伝えることで果たしたい。

その意味でもやはり「友」が己の顧客なのだ。

06.04.16

■友へ伝えたいこと

日本人はほぼ全員、いくつか困難な例外は除いて満足しているのだと思う。

本気で頑張れば全て手に入れられる社会なのだから。

だから、自分はシアワセって言ってようが
不幸せって言ってようが関係ない。

自殺する人も満足しているのだ。

そいつがとっている行動、そいつがいる状態
それが既にそいつを表現している。

表現されたそいつは瞬間瞬間常に完結・完成しているので
満足しているといえる。

だからあなたはそのままでいいのですよ。

努力して頑張るのもそれでいい。

怠惰にだらけているのもそれでいい。

喜びも哀しみも怒りも楽しみも全て正解。

あなたの言動すべて正解。

あなたはすべて正解。

06.04.16

06年01月の気づき